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2007/10/29夜中の3時頃、愛猫「小雪」は放し飼いの犬3匹に噛み殺され、悲しくて・・皆様が励ましがてら各々のペットロスの経験をCat's blogに書き込み下さいました。有難く、ココに標します。
にしきごいさんちのポッポちゃんのお話
★先住猫のポッポは、「出入り自由猫」として、にしきごい家で楽しく過ごしておりました。猫なのにポッポと言う名なのは、チビ介が2歳で、尻尾と言えず、「ぽっぽ」と呼んだので、まぁ、それが呼び易いのならば、と。柄は、薄いグレ−で、しぐれちゃんそっくりです。これが、まぁ〜よ〜チビ介と、遊んでくれました。食べ残しも、お汁かけご飯でも何でも「ポッポ、お願いします」と、猫皿へ入れると、喜んでいただきま〜すってな具合に。ゴミの収集車が来てしまうまでは、お外には出さんとか、夜は家ん中、とか、団地では気も遣いました。それでも、どんだけ毎日、楽しかったか!今でもカ−テンレ−ルの上から、えらそうに、見下ろしている気がします。★呼んでも帰らん日が一日だけありました。いつもは10数える間に、警察犬のように忠実に帰ってきていましたがね。心配で心配で。でも、日々の暮らしもあり、年末に向けて、忙しかったのは本当です。次の朝、ボロ雑巾のようになりながらも、デッキで、サッシを開けてもらえるんを待っている猫がおりました。バイクにひかれたか?バットで殴られたか?ゴルフの練習台にさせられたか?肋骨がたくさん折れていて、腹水が溜まっている状態でした。獣医さんがあきれる生命力をみせつけてくれましたが、さすがに入院3日で連れて帰りました。亡骸を包むタオルが、車の中に置いてあった、高級なタオルになりましたが、そんなこと、ちっともかまいませんでした。★それから、けじめとして、猫を火葬し、いつも遊んでくれた庭の木の下に深く深く仕舞いました。 ★大変だったのはそれからです。年末用に餌を2kgも買い込んでおりました。クロちゃんに食べてもらうことにしました。砂場や猫砂、古タオルにおもちゃ・・。目につくのですが洗って仕舞う気にもなりません。たくさん泣かせてもらいました。気分転換にと、実家にも冬休み、行って見ましたが、思いのほか体力を奪われただけでした。★解決策として、片付けたり、いろいろと実行しましたが、一番の薬が、次の猫を迎える事でした。しかし、また子猫からやり直す元気が無かったのです。しかも冬。「猫あげます」の看板をよく出している、今、お世話になっている獣医さんのところへ、お電話してみたり、伺ってみたり。好くして下さって、よそのセンタ−に大人猫が居ることがわかり、車でそのまま会いに行きました。ビビッと目が合ったのが、モモです。センタ−の決まりで、1週間、よ-く考えて、お迎えする気ならば、バスケットと誓約書に印鑑を。と。 長い長い1週間でした。何も手につかず、ボロなパソコンで「猫」で検索して、うちの猫・そとの猫 に出会いました(^^)それからは、みのりさんや皆さんの知っているとうりです
ブンタママさんんちの実家の猫達のお話
うちの猫ブンタも外の味を知っているので、出して出して!とせがみますが、出しません。
うっかり出てもすぐ連れ戻します。
昔実家で飼ってた猫を相次いで3匹亡くした経験があります。
一匹目は猫嫌いな人が撒いた毒を食べて死に、二匹目は交通事故、三匹目はおそらく犬にかみ殺されたんだろうと思いますが、お腹から内臓が飛び出していました。(それでも家の近くまで必死で帰ってきていました)
外にさえ出さなければ・・・という後悔の思いで一杯になりました。
トムニャンさんちのジェリーちゃんのお話
私も何匹かの子を見送りましたが、すべての子にもっと出来る事があったのではといつまで経っても悔いが残ります。。。
でも一番切なかったのは、急死した姉が残していったキジトラのジェリーちゃんを見送った時でした。
最後の最後までなぜ自分が突然飼い主の姉から引き離され、見知らぬ家で暮らしているのか理解できないまま旅立っていきました。

その後、偶然動物病院で出会った保護猫(ココ)が、キジトラで鍵尻尾の女の子とあまりにもジェリーちゃんにそっくりでしたので、絶対この子を幸せにしようとその日のうちに里親に名乗り出ていました。
 
新しい命に精一杯愛情を注いでいく事で、旅立って逝った子を忘れる事は出来ませんが、自分自身も救われ、きっと天国でも喜んでくれると信じています。
じゅり母さんちのテトちゃんとオリバー君のお話
赤ん坊の時から動物と暮らしている私は、
それこそ何十回と別れを経験して来ました。
引っ越しを繰り返したために人間とも長い付き合いをすることがなく、
かなり諦めがいいほうです。
こんな私でもテトとの別れはものすごく辛かった。
もともとキャリアではなかったのに、私が血液検査もせず、
次々に保護猫をテトに面倒見させたせいで、
白血病に感染した疑いが強いのです。
しかも最初白血病とは思いもせず、1ヶ月も的外れの治療をしてしまい、
病気がわかった時には手遅れ状態。
どんどん悪くなって、体重は半分になってしまいました。
もう1ヶ月辛い闘病をして、最後は血尿が止まらない寝たきり状態。
それでも面倒を見てもらえるのが嬉しくて、
少ししか食べられないご飯を一生懸命食べるテトでした。
最後の日もどう見ても危篤状態なのに、
他の子が食べるのを見て「僕も食べたい」と鳴きます。
だからひとくちだけ缶詰を食べさせたら・・・・
喉に詰まらせてしまいました。
吐き出させようとしたけど吐き出せず、
「じゃあ、飲みこめ、飲みこめ」と喉をさすって、
ゴクンと飲み込んでテトは亡くなりました。
あと何時間生きていたかわからない状態だったけど、
自分が留めを刺してしまったようで、大泣きしました。

テトの病気がわかる前、
マンションでペットのことが次々にクレームになっていて、
夜中に運動会をしないよう、みんなをバラバラに閉じ込めたりしていました。
テトはそれがすごく悲しかったみたいでした。
それでもこんなに早く別れが来るなんて思わなくて、
悲しむテトを毎日閉じ込めていました。
病気がわかってテトのいる部屋に布団を持ち込んで寝てやると、
とても喜んでそばに来たのに・・・・もう高熱で耐えられず、
悲しそうに床に寝たテト・・・・
もっとかわいがればよかった、もっと愛してやるんだった・・・・
病気で失ったということより、そういうたくさんの後悔で押しつぶされそうでした。
毎日毎日泣いていました。
テトの写真は何ヶ月も見ることができませんでした。

それでもオリバーを守らなければならなかったので、
いつまでも嘆いてはいられませんでした。
オリバーが亡くなったときは、乳飲み子のメルがいたので、
子育てに忙しくてあまり嘆く暇がなかったです。
オリバーの場合は十分に力を尽くしたという思いもありましたし・・・・
Yさんちの古十夜ちゃんのお話
古十夜はね
乳がん発覚から3年がんばったんよ。
再発して計3度の手術にも耐えてな
ほんにほんによくよく頑張った。
だけども最期は....
今でも、あれでいかったんだろかと
思い出すと至らんことばかりであったような気がして
苦しくて苦しくて
おいらも最後まで絶対良くなる!て信じきっちゃって
出来る治療はなんでもやろうと
だけども....
それよりも
死が近いことがわかった時点で
そんまま静かに迎えさせてやったほうがよかったんでないか
あんな
外嫌いな子をまいんちキャリー入れてびょいん連れてって
点滴して無理矢理栄養入れて
そんなことせんで
そのままずっとおうちで静かに寝かせておいてやったほうが
古十夜にとって幸せな心のままで
逝かせてあげられたんでないかって
だただ辛い思いばかりをさせちまっただけなんでないかって
あごめん、だみだ、また涙でてきちった。
もう4年も経つのにね
まだ昨日の事のようにフラッシュバックよ。
んでも、おいらはこのまま一生泣き続けたいと思っとる。
ふっきりたくはないんだ。
体があろうとなかろうと....
やっぱり今でも心の底から愛しておるよ。
れいこさんちの先代猫さんのお話
先代の「そのこ」は、寿命(ひょっとしたら病気だったかもしれないが)で
自宅でなくなりましたが、本格的に悪くなる前におしっこの粗相をするようになりました
たびたびの粗相に私がついに手を上げて怒ると、階段をあわてて上っていき、ベッドの下にもぐりこみ、半日ほど隠れていました
あとで思うと、2Fに置いてあるトイレまで行けなくて、下でもらしていたのに、
体力を振り絞って階段を上っていったのかと思うと、なんてかわいそうなことをしたのかと
今でも後悔です
そのあとはもう飲まず食わずで、まだ動けるうちは夜だけ洗面所にタオルを敷き、
トイレを一緒に備えてそこに入れておきましたが
5月だったけれどあれでは寒かっただろうか、と今になって思います
全く寝たきりになり、おしっこも出なくなってしまってからはリビングでみんなのそばに寝かせましたが
ひょっとしてこれもそのこには落ち着かなかったかなぁ

前々から私の両親と約束していて、子どもたちがとても楽しみにしていた釣りに行く日の朝、
私以外の家族が「行ってくるね、帰ってくるまで頑張るんだよ」とそのこに言って出かけた後、
ワタシが朝食の後片付けをしている間に息を引き取りました
そのときを看取れなかったのです
出かけて行くみんなに反応するなど、この朝のそのこはわりと元気に見えたのです
こんなことなら後片付けなんか後にして、ずっとそばについていればよかった

そのこがいた頃の生活は、まだ子どもたちが小さくて、私は育児にせいいっぱいでした
いまBと暮らしていて、そのこには全然かまってあげられなかったなぁと思うことが多々あります
このBともいつかはお別れするんだよ、と、時々自分に釘を刺します
でも、そしたらまた私は新しい子をむかえるでしょう
ほんとに、人間はそうやって世話をするものを探して生きていくんでしょうね
Madam peppeさんちのにゃんちゃんのお話
私にとって初めての猫、「にゃん」は、子どもが拾ってきた弱々しい仔猫でした。どう扱っていいか判らず、今 思うとめちゃくちゃな扱いをしたようにも思いますが、病院に行ってアドバイス等いただきながら、なんとか避妊手術を受ける程 成長しました。野良のお母さんの子どもだったからか、外に出たい素振りを見せたので、一日に一度、1〜2時間 外に出していました。
 そんなある日のこと、プーさんと同じように、お隣の奥さんが見ていてくれて、「ねこちゃんが大変!」って教えてくれたんです。車に当たって、駐車していた車の下に逃げ込んだって。直ぐにその車の下を見てみると、よろよろと私の方に寄ってきました。隣の奥さんが車を出してくれると言うので、苦しそうにしていた「にゃん」を、いつも寝ていたカゴに入れて、病院に向かいました。
 苦しそうにしていましたが、私の方をじっと見ていました。「もうすぐ病院だからね」と、撫でながら私も見つめ返していました。
そのうち、見つめていた目の瞳孔がだんだん開いていきました。
 病院はすぐ近くでしたが、間に合いませんでした。先生も一応蘇生を試みてくれましたが駄目でした。先生も隣の奥さんも一緒に泣いてくれました。帰ってきた家族も当然涙・涙でした。まだ1歳になっていなかったんです。そんなにめちゃくちゃ外に出たがっていた訳でもないのに、どうして出してしまったのか・・ 家の立地では危ないことは分かっていたのに・・

その子が居なくなってからは、にゃんこの居ない生活が寂しくて寂しくて、今 居てくれる「まる」を迎えました。たぽたぽしたお腹を見ると、やっぱり運動不足なんだなー・・とは思いますが、怖くて外には出せません。これもある意味 人間のエゴなんだろうなー と思いつつ・・

外に出す・出さないは、難しい問題ですよね。
家の立地でも全然違うし・・
ゆきはっちさんちの実家のワンちゃん・ローズさんのお話
実家にはずっと犬がいましたが、自分で責任を持って暮らした動物は雪たちが初めてなので、ペットロスの経験はありません。今から正直そのとき自分がどうなるのか不安に思います。
私が幼稚園から中学生の頃まで飼っていた犬のローズが死んだ時、もちろん悲しくって涙も出たけれど、可愛がって育てた父の悲しみの比ではなかったと思います。ローズはどうやら当時近辺をうろついていた狐に病気を移されて、衰弱して亡くなりました。看病する中で心の準備もできていたとは思います。それでももしかしてと思う気持ちが家族にはありましたが、最後は何も食べられなくなってしまって…。私が風邪で学校を休んだ日に、逝きました。
父は感情を表に出す人ではないので、どうやって気持ちに区切りをつけたのかは子どもだった私にはわかりません。たぶん仕事や家族との生活、ローズが死んだことを除いてそれまでと変わらない日常を過ごさなくてはいけない中で、淡々と気持ちを前に向けていったんだと思います。きっと出来るだけのことはした、と言い聞かせもしていたんだろうなと思います。
でもローズが死んだ翌日、ローズを寝かせたダンボールを見つめていた父の姿が忘れられません。無言だったけど、ローズにたくさん語りかけているように見えました。
きっと死んでしまった事実を忘れようとするよりは、いっぱい思い出して、いっぱい愛していたことを心の中で叫ぶことが大事なのかななんて思います。
おととさんちのブリちゃんのお話
私もあの時はなぜ?なぜ・・ちゃんと予防注射もしていたのに、
と(猫エイズの予防注射はまだ無いのですが)毎日悔やみました
他の子達はエイズ反応はマイナスなのにブリだけが、
3〜4年前怪我をしてきた事がありました。尻尾が折れてしまったんではと、レントゲンも撮りましたが大丈夫でした、そのときの傷が1ヶ月ぐらい治りませんでした、、あの時に感染したんだろうかと思いましたが定かではありません
私も暫らくはペットロス気味でした。
その猫(小雪ちゃん)がどんな生き方をしてきたかでこの世で楽しかったと想う事を思い出してください
ブリはうちの猫の中では、野生的で自由奔放に生きてきた猫でした。ねずみは捕るし鳥は撮るし狩りの名人で通っていました。
近所の中学校に入り夜中に警備員さんやパトカーを出動させた事2回もありヤンチャな子でしたが,自由な猫生を謳歌したと思います。
今はペットセレモニーの小さなロッカーの中で眠っています。
時々お墓参りに行っております

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